明武谷

明武谷 ソップ型の代表格、大鵬にも吊りで真っ向勝負でした




吊りといえば明武谷、明武谷といえば吊りと形容されるほどの吊り出しの使い手、そして189センチ・113キロの究極のソップ型力士。力士の体重増加が叫ばれる(?)昨今、ソップ型という言葉自体、死語に近くなっています。

昭和34年名古屋で新入幕の明武谷は、高見山登場以前の幕内最長身力士でした。皮下脂肪が少なく腹筋が見事に割れている筋肉は、匹敵する力士を探せば、千代の富士しか思い浮かびません。

昭和36年秋と昭和40年秋の2度、優勝決定戦に進出した明武谷は有力な大関候補でした。関脇在位が5場所と、それほど多くないのに大関を期待せれた一番の理由は、王者大鵬に対する相撲振りでした。

明武谷は、大鵬が関脇以下の力士で最も苦手とした力士の一人でしたが、明歩谷の勝ち方がまた強烈で、大鵬に対し真正面から四つに組んでの豪快な勝ちっぷりでした。

柔らかいうえに腰が重い、いかにも吊りにくい大鵬の巨体を振り回すのですから痛快でした。

女性ファンが多いことでも有名。美男力士といっても力士の場合は日本的 美男がほとんどで、角界のアラン・ドロン:霧島でさえ純日本的でした。明武谷は彫りが深く目鼻立ちがくっきりした、イタリアっぽい美男でした。

横綱相手に痛快な相撲を取り、ソップ型で、美男力士・・・これだけの条件をクリアする力士は・・・なかなか出ないでしょうね。




力士名鑑明武谷

砂かぶりの夜

6件のコメント

  1.  大鵬キラーといわれたようですが、勝てたのは昭和40年頃の数回で、通算は大鵬の圧勝らしい。ただ、大鵬の全盛期に連勝して、しかもただ一番だけですが、吊りで金星をあげたことが印象的でしょう。その後はさすがに憤慨したらしく、その一番以降は大鵬の連勝で寄せ付けなかったのはさすがです。

  2. MTさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    大鵬は柔軟で、なおかつ腰の重い力士でした。吊りにくかったと思います。そこに挑んだのは、さすが明武谷という感じです。そこに挑んで、残念ながら大ケガをしてしまったのは貴ノ花でしたね。

  3. 大鵬の出身地の弟子屈と明歩谷の出身地の阿寒町は隣町。
    共に長身怪力で近隣では聞こえた怪童でした。

  4. りっきーさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    大鵬と明武谷、ともに北海道出身力士の雰囲気に溢れていましたね。イケメン、長身、怪力、花形力士の要素すべてを満たしていました。明武谷も今年で傘寿、ビックリしますね。

  5. 大関のかかった場所で、初日からだったかな?2日連続で勇み足で負けになりましたが、当時、テレビで見ていて明歩谷に分があったと見えました。あれで、気分が落ち込んでしまったかと思います。
     美男には不運が付きまとうのかと同情しました。

  6. ツチノコさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    明武谷の全盛期は、大鵬・柏戸・佐田の山・栃ノ海の横綱に、栃光・豊山・北葉山の大関。三役クラスも北の富士・清國・玉の海・琴桜の若手、まだ大豪も強かった時代ですね。これで大関昇進を決めるのは、なかなか至難の業だったという状況と言わざるを得ない、と思います。

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