柏戸

柏戸 と言えば豪快な寄り倒し、そしてハイティーントリオのおおらかな時代





前回のブログは柏鵬の初対決、下手出し投げで決着した相撲を書きました。しかし決まり手となると、やはり柏戸と言えば豪快な寄り倒しでした。左前廻し、右は差すか、おっつけで一気の出足、そして相手力士もろとも土俵下という、豪快な相撲でした。

一般的には男っぽい「剛」の相撲、柏戸剛の名の通り、「柔」の大鵬と対比されました。体が比較的に硬く、土俵下に落ちるときのケガのリスクもありました。また大鵬の弟弟子の大麒麟の打っちゃりに、しばしば苦杯をなめました。

それでも一徹、寄り倒しの相撲に懸けた柏戸。大鵬に優勝回数で差を付けられても、人気の面で負けていなかったのは、柏戸のそんな姿が大相撲ファンの支持を得ていたからでした。そう言えば、何年か前に寄り倒しの決まり手が減っていると、何かで読んだ記憶がありますが、その後はどうでしょう。

柏戸 大鵬 寄り倒し

こちらは昭和42年夏場所の千秋楽に、大鵬を寄り倒した柏戸です。この日まで14連勝の大鵬の全勝優勝を阻んだ、柏戸の意地の寄り倒しでした。リアルタイムで見たとき正直に言って、時代は大鵬の独走が始まっており、柏戸が勝った瞬間「お~~柏戸が勝った」という若干の驚きがありました。

この翌場所は柏戸が自身最後の優勝をしますが大鵬は休場、結局この一番が大鵬戦の柏戸の最後の白星となりました。最終的な対戦成績は大鵬の21勝16敗でしたが、糖尿病が悪化するまでは16勝16敗、その16個目の白星がこの寄り倒しでした。

土俵下に落ちるまでもなく、つまり土俵際で粘るまでもなく大鵬は寄り倒されています。通常土俵内なら浴びせ倒しが採用されそうですが、柏戸の寄りの勢いで寄り倒しとなったわけですね。

ところで柏戸、「十両の頃から飛び切りの有望力士」という文章とともに爽やかな笑顔を見せております。たしか入幕した時は、若秩父・豊ノ海とともに「ハイティーントリオ」と呼ばれましたが・・・。柏戸の左手の指先に、白くて細いものが・・・??「おおらかでした」

大相撲力士名鑑 : 柏戸

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. 確かベースボールマガジン社から20年ぐらい前に出版された昭和の名横綱シリーズの柏戸編で、元大関豊山の「大鵬関と対戦すると、負けても相撲を取ったなあ、という気になる。柏戸関と対戦すると、勝ち負けよりもケガしないで土俵を降りることができるかしか考えなかった。」という、柏鵬の相違点についてのわかりやすいコメントを読んだ覚えがあります。柏戸についての幻想が膨らみました。
    タバコ持った柏戸の写真見て、え、力士けっこう喫煙者多いから別に大したことじゃないだろう、と思ってたら「ハイティーントリオ」でしたね。失礼しました。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    柏戸のことを書いていて、やはりリアルタイムでは、緊張感にあふれる柏鵬対決だった記憶が甦りました。優勝回数の差と、実際の時代の空気は違っていました。煙草は大相撲や、プロ野球も多かったですね。ハイティーンうんぬんは、やはり写真週刊誌の無い時代の意識は、こういう感じだったのでしょうね。

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