夏場所で北の富士が、アナウンサーを絶句させる場面がありました。それは戦前の大相撲の映像を、カラー映像にするという企画でした。北の富士らしい一面を見せた、微笑ましい場面でした。
「北の富士さんは、この時の両国国技館には行かれたことは?」とアナウンサー。「プロレスとか、ありましたから、裏から入って見たりしてましたよ」と北の富士。「おおらかな時代だったんですねぇ」とアナウンサー。「いえいえ、見つかっちゃダメですよ~」と北の富士。アナウンサー、しばし「・・・」
爽やかな、かつ堂々とした口調で「見つかっちゃダメですよ~」と言えるのも、北の富士の真骨頂?でしょう。「見つかっちゃダメ」なことを、NHKで話す北の富士。先日、古風な北の富士について書きましたが、この硬軟の同居が北の富士の魅力となっています。
さて、この見つかっちゃダメな相手、これは明らかにジャイアント馬場とその関係者を指していると思われます。ではなぜ裏から入れたのか?ここからは、もちろん憶測です。
当時、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスには、グレート小鹿という出羽海部屋の力士からプロレスに転向したレスラーがいました。小鹿は北の富士の一つ年下で同じ北海道出身、昭和38年まで力士でしたから、数年間は兄弟弟子という関係ですね。
昭和40年頃、若手の日本人レスラーはアメリカでの海外武者修行では、田吾作スタイルの悪役レスラー。しかし帰国するときは普通に戻るものでしたが、悪役テイストのまま帰ってきたのは、たぶんこの小鹿が初めてだったと記憶しています。
海外武者修行の終了間際に大スターのマスカラスに勝って、そのためにキャラクターを変えずに凱旋したのか、顔立ちが悪役っぽいからか・・・。まぁテイストが悪役でも、人の良さが出ておりました。
「兄弟子、今大丈夫ですから、入ってください。馬場さんには気を付けてくださいね」・・・。実際は分かりませんけど、もしそんな会話があってたら楽しいなぁと思いました。軽妙洒脱な北の富士なら、絵になる場面ですね。
パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました
何が恐ろしいって、このグレート小鹿選手がまだ現役のプロレスラーとして年何試合もリングに上がっているということです。
アントニオ猪木(この人も、まあ、最近のニュース見ると相変わらずですがw)とともに、数少なくなった力道山の直弟子でご健在のひとり、まだまだ頑張って、って昭和17年生まれの今年75歳だ。
ずっと後輩で、やはり大相撲出身の天龍源一郎は一昨年だったか引退したが、もう歩くのもしんどそうだ。なぜそこまで続けるのか、プロレスも謎が多い。大相撲の話じゃなくなった、すみません。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
グレート小鹿がアメリカでマスカラスに勝った頃、猪木とドリーファンクの名勝負もあって、プロレスにも熱狂しておりました。プロレスもスタイルが変わりました。大相撲の型の変化と、時代の変遷とともに一度対比させた文章を書いてみようと思います。天龍に関しては、昭和23年の早生まれで輪島と同学年だったはずですが、ウィキペディアでは昭和25年生まれになっています。それもテレビで、年齢のサバ読みをカミングアウトしたうえでの昭和25年生まれ。プロレスの世界も、摩訶不思議です。