大鵬が活躍した時代は、いろいろなタイプの力士が活躍した時代です。ふてぶてしい態度で、注文相撲を仕掛けた海乃山。強烈な張り手で、大鵬を失神寸前に追い込んだ前の山。「褐色の弾丸」房錦は、大鵬との対戦成績は5勝6敗。真っ向から、がっぷり四つで吊りを仕掛ける明武谷もいました。
大負けしても大鵬には勝った前田川、猫だましの出羽錦もいたわけで、横綱に対して勝つためなら何でも仕掛けようとした時代。陸奥嵐の面構えも、尋常では無かったですね。いわゆる中腰の立合いでしたから、捕まる前に仕掛けやすかったというのもあります。
朝青龍の時代から今に続く時代に比べ、とにかく大鵬は、曲者たちに好き放題に仕掛けられていました。大鵬が取りこぼしが多かったのは間違いなく、連勝も少ない横綱でした。昭和44年春場所、45連勝の時は「世紀の大誤審」と呼ばれましたが、あしらう相撲が多く、全盛期は過ぎていました。
大鵬は24歳で高血圧症を発症して苦労することになりますが、本当の全盛期は短かったわけです。桁外れの酒豪で塩分摂取過多で、当時は健康に関する情報が少なかったのも残念なことでした。
余談ですが、「世紀の大誤審」がビデオ判定導入のきっかけになった、という言説が多いようですね。これは間違いです。当時の武蔵川理事長とNHKの大相撲担当者の間で、翌夏場所からのビデオ判定の導入は決まっていました。本当に、「あと一場所、早かったら」でした。
もう一つ、大鵬の時代は双葉山の全盛期から20年ほどで、つまり大鵬の時代のベテランの記者や評論家は、双葉山の全盛期を実際に見た人たちでした。双葉山が絶対的存在でしたので、年6場所制になってからの優勝回数の記録が、そこまで評価されていなかったと感じます。
大鵬は双葉山とは比較されるほどの存在とは言えない、という時代の空気があって、そのため大鵬のマイナスの情報が多かったのかもしれません。それが今に残っているという気がします。
連勝記録ならば優勝回数よりも年6場所制の影響は少なく、もう少し大鵬が記録を伸ばしていれば双葉山との比較も変わっていたのでしょうが・・・。双葉山は「相撲道」という点で語られ、大鵬には人間味あふれるエピソードが多いというのも面白いですね。
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筆者がどなたかは失念したが「大鵬は年6場所制で優勝32回、双葉山は優勝12回だが、年2場所制が全盛期だから年6場所制なら12×3で36回以上は優勝できたはずだ」というトンデモ理論を展開されている、確かムック本があったと記憶している。
今から37,8年ぐらい前だから、双葉山の評価が最高だった頃だ。ただ年6場所制なら優勝のチャンスも年2場所制の3倍になるかも知れないが、ケガのリスクも3倍になるだろうし、そもそも力士のコンディション作りも全く異なるだろう。でもこんなトンデモが罷り通った時代もあった。
白鵬が38回優勝し、双葉山の12回×3を超えたが、さすがに双葉山を超えた云々の記事はなかった(はずだ)。ブログとツイッターまではもうカバーできない……
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
37,8年前に「双葉山の優勝は36回可能だったのでは」説は、いくつか目にしたことはあります。私が見たのは評論文の中で「36回ぐらいしたかも」ぐらいのレベルで、文章も一行ほどでしたが。それを双葉山最強説の根拠にはしてない、というよりも双葉山と大鵬は相撲の型が違うので比較はしない、あくまでも正統な相撲は双葉山だ、という空気があったと思います。