若秩父

柏鵬時代初期の一番人気は、ハイティーントリオの 若秩父 でしょう





力士のケガが目立つ昨今の土俵ですが、昭和の土俵ではケガとともに病気、特に糖尿病は力士の職業病と言われていました。ハイティ-ントリオの一人、抜群の人気を誇った若秩父もその一人でした。

19歳で入幕して、いきなりの大活躍。風貌も体躯も、いかにも「お相撲さん」という容姿が人気の的となったと思われます。私が大相撲を見始めた時は、ちょうど三役から下がった頃でしたが、祖母が応援していたのを覚えています。

私の地元でもあります、福岡の中州での武勇伝にも大相撲ファンの目は暖かく、武勇伝の相手が泥酔していたこともあって、逆に人気を煽ることになったということで、このとき19歳の未成年であったことは全く不問だったようです。

以前のブログで、同じくハイティーントリオの柏戸の喫煙にも触れましたが、当時の「世間」というものが窺えます。今のネット社会では、中傷する人もいたでしょうね。

150kgを超えると巨漢力士と言われていた昭和の土俵で、若秩父は175㎝・150kgの典型的な巨漢、その巨腹を利した吊り寄りもまた、いかにも「お相撲さん」という取口でした。

気になることと言えば、当時の記事で糖尿病の若秩父について、「健啖家が気の毒に、パンばかりパクついている」というのがあります。パンばかり食べていたら、病気にはあまり良くなさそうに感じますが、50年前のことですから・・・。

大量の塩をまくことで有名と言われておりますが、最近の力士のように、とにかく量が多ければよい、目立ちたいという塩まきではありませんでした。絵になってますね。粋でいなせな「お相撲さん」という雰囲気が漂う塩まきです。そして、華麗です。

若秩父 塩まき

若羽黒の時も書きましたが、やはり病気と闘いながらの土俵でしたので、現役晩年の若秩父の顔付きは少しむくみ気味。ハイティーントリオ時代の面影は薄らいでいます。

若秩父

それでも人気の高かった若秩父でしたが、兄弟子若乃花の弟で幼いころから知っている花田(貴ノ花です)との対戦に敗れ、その年に引退します。アイドル的人気力士の交代劇でした。

大相撲力士名鑑 : 若秩父

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. リアルタイムで見ていないので、若秩父が一番人気というのが信じられない。
    「ワカチチブ」という四股名の響き、引退してずっと後年に、なぎら健壱の「悲惨な戦い」というコミックソングがヒットしたこと(確か放送禁止扱いになっていたと思うが、2017年でもコンプライアンスに引っ掛かりそうだ)ぐらいのイメージなのだが、「若秩父」で検索すると主人公若秩父の漫画とか出てくる。ちょっとしたアイドルだ。
    体型的に押し相撲かと思っていたが、左四つの相撲だったと知った。今なら御嶽海のような相撲か。御嶽海も人気は凄いが、若秩父の人気とは違う質のようだ。
    引退してからも糖尿闘病生活は続き、道に落ちていた食べ物を思わず拾いそうになったというエピソードを目にしたことがある。ハイティーントリオの富樫改め柏戸も現役時代から糖尿に苦しみ「糖尿病=力士の職業病」というイメージを作ってしまったが、2017年では変わっているんだろうか。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    糖尿病に対しては、50年前とは知識も違うでしょうし、今は改善されていると思いたいですね。ちなみに若秩父は、相撲人形的な部分での人気でした。もちろん当初は、将来を嘱望されての人気だったはずですが。私が見始めた頃は、全盛期を過ぎてました。「悲惨な戦い」、懐かしいです。中学一年の時、色気づいて「月刊明星」などを読み始め、付録の歌本に載っていたのを覚えています。雷電と朝潮とともに、若秩父がチョイスされたのは、なぎら健壱のセンスを感じますね。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA