白鵬

白鵬 が立合い不成立と思った要因を改めて考察、嘉風の立合いも素晴らしかったけど





巷では白鵬の40回目の優勝と、例によって激しい厳しい立合いのお話でしょうが、私はもう1回だけ嘉風戦の立合いについて。コラムのタイトルだと白鵬を擁護する内容のように見えますが、話は嘉風の立合いについての考察であります。

嘉風の立合いの素晴らしさ、今後の大相撲の流れに大きく影響を与えるような。ちょっと話が大きいですけど。そして逆行する危惧も含んでいるので、その辺をもう1回。

立合い勝ちした力士が優位に立つ相撲という流れは、力士の重量化の流れとともにあった昨今、「当たらない立合い」を見せ、なおかつ効果を上げた宇良に拍手をしておりましたら無念のケガ。

ここで嘉風が見せてくれたのが、白鵬の張り差しに対しての、「この手が有ったか」の「当たらない立合い」。白鵬VS宇良は互いにズレての立合いでしたが、嘉風は正面から立合い、そして「当たらない」。白鵬は混乱。

しかしここで、白鵬の「1回でも(ビデオを)見てもらいたかった」という言葉が引っ掛かってきます。白鵬は何を見てもらい、何を確認したかったのか? 私も細かいところが気になる悪いクセ。

嘉風が両手をついて待つ、そこに白鵬が立っていく。これでは「待った」が起こり得る可能性は、1㎜も無い・・・。この白鵬VS嘉風の立合いは成立していると、当然私も認識しています。

ここからは、それとは別な話。今回の件は、「両力士が両手をついてさえいれば、呼吸が合っていなくても立合いは成立するのか?」という問題を突き付けられているのだ、と思います。白鵬が「1回でも見てもらいたかった」のは「呼吸が合っている立合いだったか」の確認。

今回の呼吸は合っていましたが、しかし両手をついてさえいれば立合いが成立するのは、アマチュア相撲のルールです。九州場所でもありました、行司が立合いで勝負を止め、藤井アナウンサーが「今のは呼吸は合っていたように見えましたが」という場面が。

呼吸が合っていても、手付き不充分で立合い不成立ということは、逆に「呼吸が合っていなくても、両手をついていれば立合いは成立する」という考え方に傾いているのかも。

両手がついていれば良いのならば、白鵬の好きな言葉「子供でも分かる」わけで、審判委員も行司も子供で良いわけです。品の無い表現で申し訳ない。

藤井アナの話で、もう一つ。立合いに腰を割って、さぁ手を付くぞという場面、ここで藤井アナは「最近の相撲は、ここからが長い」。おっしゃる通り、これもアマチュア相撲の立合いがそのまま大相撲に導入されている。

問題はこれだけではない。立ち合う瞬間を重視するあまり、その他は大部分が不問とされている。時間前の立合いは目を合わさない、目が合うどころか手を付くタイミングもバラバラ。当然、時間前の立合いなど無いに等しい。

じょじょに気が高まり、呼吸が合っていく。そんな本来の立合いなど、まったく意に介さない。その風潮は長く根深い。というか、それが普通になっているので、誰も気にしなくなっている。まず美しくない。

藤井アナは私より四つ年上か・・・中腰立合いのど真ん中。でもね、中腰で立つのは難しい。蹲踞の時点で合っていないと立てないわけです。今みたいに最後の蹲踞から立ち上がってから「そこから長い」など不可能なのです。

誤解されそうなのでハッキリと書いておきますが、中腰の立合いは良くありません。言いたいのは、両手をつくことを重視するあまり、不問とされ、安易に流されていく所作もあるということです。

そして八角理事長というか北勝海は、栃錦の春日野理事長が立合いの正常化を行った時の、まさにその時代の力士。ここで言ってしまいますが、名横綱に対して。「立合いの乱れは栃錦から、というのを堂々と否定する人がいなかった」から、あんなことになったと。

あの時に、双葉山を範とするとなりましたが、双葉山の時代でも軽量力士は両手をついてはいませんでした。全員が双葉山になるのには無理があったし、制限時間もない時代のものを現代に持ってくるのにも無理がありました。

だから八角理事長が立合いの正常化に動くと、どう動くのだろうと心配の部分もあるのです。私は手付きに関しては、最近の基準で妥当と感じます。そして行司による立合い不成立が、変に個人差が出来ないような指導が必要でしょう。そして駆け引きは、巧さとズルさの境界を自覚するべし。以上。

書いてみるとニュアンスが微妙で、伝わらない部分の方が多いかも。しかしその微妙な部分が、大相撲的な文化とも言えます。どこまでが良くて、どこからがダメなのか。その判断が重要なことです。この微妙な判断は、白鵬の張り差しとカチ上げにも通じるものでしょうね。

大相撲力士名鑑 : 白鵬 嘉風

 

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2件のコメント

  1. 嘉風は顔への肘打ち対策だったと思います、昨日の遠藤も顔への肘打ちで勝負がついていました。相撲の醍醐味も面白さも全て消されたつまらん相撲だと思います。勝負ですから勝つためと言われればそれまでですが、相撲ってはたしてそういうものでしょうか。

  2. 蕎麦屋さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    おっしゃる通り、カチ上げというよりもヒジ打ちになってしまっている白鵬の立合いは、このままでは大相撲の方向性にも関わること、張り差しも含めて、本来の大相撲の姿に立ち戻るべきだと思います。それを、どういう形で戻すのかが大事だと思います。次回のコラムで書こうと思います。

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