御嶽海

御嶽海 なんて嫌いだぁ~でも横綱を目指してほしい





初日から7連勝の御嶽海、久しぶりのコラムです。なぜ久しぶりかというと、ザックリと言えば、あまり書きたくなかったわけです。ではなぜ、書きたくなかったか。

御嶽海は新入幕当初から、そのギラギラした目が印象的でした。180㎝ほどの上背で突き押し相撲、稽古熱心そうな風貌、すぐに北勝海に似ていると思いました。この上背でも横綱になれる、そういう意味での北勝海との比較。

しかし番付を上げながらも、北勝海との違いはどんどん鮮明になっていきます。ぶつかり稽古で砂まみれ、土の匂いが沁みつく北勝海に対して御嶽海の相撲は洗練され過ぎている、と。

千代の富士との荒稽古で、ひたすら自分の相撲を磨く北勝海に対して、稽古場では弱いが「本場所の相撲で勝つために稽古をしている」という御嶽海。相撲内容だけでなく考え方も違う、違って当たり前だが。イメージが似てると感じた、私の勘違い。

それで書かなくなったのか? それだけでは無い。結局、コラムを書きたくなるのは「ここが、こんな感じになったら、凄いだろうなぁ」みたいな気持ちが起こるとき。

御嶽海には、そういう要素が少ない。可愛げがない、可愛くなくて良いけど。その状況判断、そして展開の中でそれが出来る動きの速さと巧さは際立っている。今の実力を、土俵で充分に発揮している。「こんな感じになったら・・・」と想像する楽しみが薄い。

そして初場所の御嶽海は、ますますその要素が色を濃くしている。「こんな感じに・・・」という、ツッコミどころが極めて少ない。押すにしろ、引くにしろ、常に余裕があるように見える。たしかに今、目一杯攻めて、守りに弱い力士も多いが。

というわけで、御嶽海には大関に早いところなってもらって綱を目指す、そういう状況になれば「ここが物足らない」がドンドン出てくるでしょう。北勝海のイメージは消えたので、御嶽海の綱のイメージはまだ湧かないが。

もし綱に到達すれば、トーナメントを戦い抜く学生相撲の、究極の完成形と言えるのか。しかし「本場所で勝つための稽古」、それで大関になれても綱へは届くのか? 大相撲は、15日間の総合成績で結果を出すものだから。

「輪島の前に輪島無く、輪島の後に輪島無く」って言葉は無いけど、使用されないだけで真実だ。そろそろ、くつがえさないと。くつがえしたら、歴史的な力士になるわけだ。

大相撲力士名鑑 : 御嶽海




2件のコメント

  1. 御嶽海の場合、
    >>和歌山県庁への就職が内定しており、
    >>「もし結果が出なければ、“あのとき公務員になっていればよかったのに”と後ろ指をさされる。辞退した県庁のみなさんにも申し訳が立たない。行くからには、絶対に結果を出すという気持ちで入門しました」と入門時の心境を語った。(以上御嶽海のウィキペディアより)
    大相撲に、入門ではなく「就職」した力士だ。全日本プロレスに「就職」したジャンボ鶴田と同じか。
    風貌や体格が叩き上げ風なので、貴景勝や阿武咲と同じ系統の力士かと思ったが、超エリートタイプだ。もし御嶽海の外見が朝乃山だったら、私も大嫌いだっただろう。

    >>「輪島の前に輪島無く、輪島の後に輪島無く」
    >>ちゃんこ番等の雑務を免除され寝食を日大の宿舎で過ごさせ、食事は師匠の自宅に呼んで食べさせるという異例の特別待遇(輪島のウィキペディアより)
    確か入門前に輪島の目の上のタンコブになりそうなベテランの若天龍や若ノ國を引退させているはずだ。大ノ海の花籠親方は名伯楽だろうが、輪島の力士引退後の人生を見ていると、この育成法が正しかったのか、首を捻る。
    出羽海親方、御嶽海は厳しく育ててほしい。今の御嶽海では大関にはなれても横綱は無理そうだ。この壁を破るのは土俵の砂にまみれた稽古、って考え方古いですか?

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    「相手に勝つための相撲」という稽古を素人ながらも想像すると、その到達点は必ずしも高いとは言えないような気がします。大関の上を目指すイメージではありません。しかし御嶽海は、私がイメージできない相撲の型で綱を締めるかも、という夢もあります。その過程で、砂にまみれてほしいですね。

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