炎鵬 の中日の立合いのやり直しも、頭でっかちな今現在の土俵での出来事だな





そろそろ優勝争いの話題でも、という後半戦となるけど、ここは中日の炎鵬VS豊山を書きたい。あの一番は、私がたびたびコラムで書いている「もともとは立合いに手を付く、ではなく、手を下す」の延長線上の出来事だ。

大相撲で立合いについて語られるのが、「阿吽の呼吸」だ。この「呼吸が合わない」は、大相撲の本質というか神髄というか、それは日本の文化にも通じるほどの最優先事項。

両力士が手を付いて立ち上がって、それでも行司が止めたのは「呼吸が合わなかった」と判断したからだ。あの炎鵬と豊山が向かい合った緊迫の場面を、「呼吸が合っていない」と行司が判断した理由、これは「行司が力士をナメている」と思われても仕方ない。

3回目の立合いで成立した取組も、向かい合う両力士に「ファイト!」みたいな仕草。ピリピリした緊張感が走る中で、行司だけが「敢闘精神の不足」と判断している。

昔、立行司の引退インタビュー的な記事で、若いころに部屋で相撲を取っていた話などしていたが、今の行司さん達は、どれほど相撲を取ってるのだろうか。何か、頭でっかちな感じで、肌で相撲と触れ合っている感じが薄い。

白鵬VS明生の一回目の立合いを止めたのも、そうかなぁ~と思ってしまう。良い立合いと思ったけどな。手つきに関して言えば、逆に「手を付きさえすれば、何をしてもOK」みたいなふうにならないか。焦らしたり、ズラしたり、やり放題。しかし、両手を付けてさえいれば、良い立合い、みたいな。

大相撲が、どんどんアマチュア相撲化されていってるような。アマチュア相撲が悪いと言ってるのではなく、大相撲とは違うということ。そして今日の解説は、元アマチュア横綱の嘉風、中村親方だった。

「ずっと相撲を取っていたかった」みたいな話をしていたが、定年まで中村だった富士櫻の言葉「死ぬまで相撲を取っていたかった」を思い出した。共通するのは言葉と、名関脇だったということだ。

大相撲力士名鑑 : 炎鵬 嘉風 富士櫻




2件のコメント

  1. 豊山VS炎鵬戦、1回目の立合いを不成立にされた後、両力士が晃之助に詰め寄っている。
    >>https://pbs.twimg.com/media/EJj1mDXUwAAQZwf.jpg
    初っ切りではお馴染みの光景だが、本場所の土俵では初めて見た。両力士は注意は受けなかったようだが。
    立合いに両力士が当たる必要もない。この立合いを不成立にされたら、立合いの変化や舞の海の八艘飛びは成立しなくなる。
    自分が理想とする立合い以外は認めないのは、職権乱用・越権行為だ、晃之助は傲慢だ、というツイートも見た。晃之助と審判部の見解が知りたいが、同じ日に高安が土俵入り後に倒れて、それどころではなくなった。ハプニングだらけの中日だった。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    今回の、行司、審判部、そして協会そのもの、何というんでしょう・・・謙虚さとか、さらに良くしようとか、そういう姿勢が必要だと思います。今まで自分が経験したもの、学んだものがすべて、というのではなく・・・だと思いますね。一番心配なのは、これ以上は知ろうとしない、学ぼうとしない姿勢でしょうか。

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