白鵬時代の最終盤に 若ノ鵬 を思い出した、どうなっていただろうな





白鵬世代の力士は、とうとう白鵬一人になってしまった。年下の稀勢の里や豪栄道は先に引退した。まぁ、誰が最後まで残るなんて、予測はしていなかったが。やっぱり、体の柔らかさがケガに強かった原因かな。

私が最初に大相撲のメルマガを始めたのが、白鵬の2度目の優勝のとき。翌場所に連続優勝して白鵬は横綱に昇進したわけだから、私のメルマガ・ブログの歴史はすっぽりと白鵬時代なのだ。

何か、白鵬時代を振り返りたい気持ちが湧くのだが、まだ白鵬は引退したわけではない。長期の休場とケガの手術、そして年齢を加味すると、まず復活は難しいと思っているだけだ。

優勝44回、大鵬の記録を10回以上も追い抜くとは思わなかった、入幕したころは。朝青龍もいたから。琴欧州や稀勢の里といった同世代とは少し力の差があるな、という印象はあったけど。

同世代とは差があると思ったけど、一人だけ特別な存在がいた。その力士が順調に出世していたら、白鵬は44回も優勝できなかっただろう。大鵬の記録を、やっと抜くぐらいじゃなかったかな。

当時を知る人なら、すぐに「それは、若ノ鵬でしょ」って思いつくだろうね。それだけ強かった。格闘技のセンスや闘争心も凄かった。もちろん体も凄かった。195㎝で160㎏は、白鵬を上回る。

体型としては、抜群の力士体型の白鵬は別格だから負けるが、筋肉の質は白鵬を上回っていた。私はプロレスも長いこと見ていたから、あの筋肉が柔らかくて強靭なのを強く感じた。白人レスラーで強いヤツの体と似た筋肉をしていた。ドリーファンクJRとかね、ちょっと古いけど。私の場合、だいたい古いが。

そういう筋肉だからか、ヒザとか足首とか、締まるところが締まっていた。締まっているということは、ケガをしにくい体だったはずだ。関節の太さは、同じクラスの体格だった把瑠都と比べれば鮮明だ。

力が強いのはもちろんだけど、四つ身の形が良かった。「型」ではなくて「形」なのだが、つまり元々のセンスが良かったのだろう。195㎝の力士の四つ身とは思えないような、相手よりも重心が低くなる四つ相撲が出来た。だから把瑠都のような大きさは感じなかったが、実は把瑠都に遜色なくデカかった。

まぁ、それはそういう相撲が出来るときもあったというだけで、いつでも出来たわけではない。無茶苦茶な相撲の方が記憶に残っている人も多いだろう。だけどね、19歳だったからね、そういう相撲がたまにでも出来たってのは凄いと言える。

四つ身の形だけでなく、投げも強かった。動きも機敏だった。把瑠都のような大きさを感じなかったのは、その動きのせいでもあるかな。把瑠都とは、幕下の優勝決定戦での大相撲は今でも鮮明に記憶に残る。

十両で12勝を上げた実績があるが、ケガで幕下に落ちていた21歳の把瑠都。対して17歳、序ノ口からたったの5場所目、幕下になったばかりの若ノ鵬。年齢的にも一番差が出そうなときでの、がっぷり四つの大相撲だった。あれは凄かったね。

そして解雇間際の10代最後の場所となった平成20年の夏場所、若ノ鵬は前頭2枚目で8勝7敗で勝ち越す。この場所で覚えてるのは、前半戦は相撲内容がまったくダメで話にならないくらい、それが後半戦で4連勝して勝ち越した。

結構、驚いた。当時の上位陣は、横綱に朝青龍と白鵬、大関は魁皇、千代大海、琴光喜に琴欧州。関脇が日馬富士と琴奨菊で小結に稀勢の里、前頭の筆頭には把瑠都がいた。強ったな、というよりも負けない、なかなか負けない力士だった。

ヤンチャが過ぎたわけだが、もしも法律を踏み外さずにヤンチャだけだったら、どうなっていただろう。朝青龍以上に、問題児となっていたかな。20歳になって、大人になるかな、と思われた場所が最後の場所になってしまった。

今で32歳だから、まだ現役でやっていたかもしれない。昔は白鵬はベビーファイスで、若ノ鵬は若手のころからヒール的な存在だったけど、今でも現役で大ヒールになっていたら、白鵬の今の立ち位置はどうなっていたかな。あのカチ上げエルボーも、若ノ鵬の運動能力だったら白鵬並みにやってるかもしれない。

それと平成20年の夏場所後半戦の4連勝、この中には稀勢の里と琴奨菊が含まれていて、それも印象に残っている。だって日本人の大関3人はベテランで、稀勢の里と琴奨菊以外はモンゴル人力士とヨーロッパ出身力士で、そりゃもう凄かった。

稀勢の里と琴奨菊の負け方は、実は記憶も薄れてるけど、次の時代の横綱は若ノ鵬だな、しばらくは外国人力士の時代だな、と思った記憶はある。力負けしたな、って記憶のような気がする。ちなみに把瑠都にも勝っている。とは言え、大麻所持は「ダメ!絶対!」だから。

現実に「もし」は存在しないが、つい想像してしまう。あの解雇が無かったら、若ノ鵬が白鵬世代の最後の力士になっていたのか。いや白鵬世代って言葉じゃなくて、白若世代って呼んでたかもしれない。それぐらい、強くて柔らかい、そして若い力士だった。

大相撲力士名鑑 : 白鵬




砂かぶりの夜

2件のコメント

  1. 若ノ鵬というと、市原(清瀬海)戦で立合い顔面にパンチを叩き込んだ一番を思い出す。2008年(平成20年)初場所のことで、SNSはまだ現在ほど普及していなかった頃だろうか。若ノ鵬のウィキペディアによると、
    >>禁手反則の「握り拳(こぶし)で殴ること」に触れる恐れがあったが、審判長の三保ヶ関は「手首が返っていない」として不問にした。
    いったいどの状態が反則になるのかわからないが、2021年にやらかしたらなんらかの処分を受けたか。まあヤンチャな力士だった。
    若ノ鵬は角界に全く馴染めなかった。逸材だが「惜しい」というコラムは他の方のものも含めて初めて拝見した。大麻はもう止めただろうか。やはり大麻で解雇された若麒麟は総合格闘家やプロレスラーのキャリアのほうが長いが、また大麻で逮捕されると「元幕内力士」と報道されるのも理不尽な話だ。大相撲とはそういう存在らしい。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    若ノ鵬は、琴欧州や把瑠都や露鵬に無い、実に柔らかな良い筋肉をしていました。19歳の時点で、もう稀勢の里も琴奨菊も追い抜かれたのでは、と恐れに似た気持ちだった記憶があります。精神面は別にして、強くなったのは間違いないと思います。日馬富士とは、プロレスまがいの抗争になったかもしれませんね。顔面パンチの「手首が返っていない」で古いことを思い出しました。ボクシングの世界王座の当時の日本記録、6度防衛した小林弘の3度目の防衛戦、52年前の話です。相手のアントニオ・アマヤに苦戦するのですが、アマヤのパンチが「手首が返っていない」でオープンブローの注意を受けて、形勢が変わりました。相撲でOK、ボクシングではNG、もちろんルールに関して正確なことは偉そうに書けませんが。

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です