琴櫻 はぶちかましキングって称号とノド輪のイメージが強過ぎて





麒麟児のことを前回書いて、イメージで語られて、時が経つほどにそのイメージの方が実像よりも勝ってしまう、そういうことを感じる。というのは、他にもたまに同じようなことがあるから。

そんなことを、少し書いておこうかなと思う。特に昭和40年代ぐらいまでは、ビデオテープも高価で使い廻しして、今でも見ることが出来る取組は限られているからね。

ということで、今回は琴櫻について。私が気になるのは、大相撲中継でアナウンサーが琴櫻を紹介する場合、しばしば「突き押し相撲の~」と形容する部分だ。

琴櫻をアナウンサーが口にするのは、当然ながら解説席にライバルだった北の富士がいるときだ。気を利かせてのことかな。そして北の富士も「突き押し相撲の琴櫻」という言葉を、否定することは無い。間違ってはいないから。しかし、違和感がある。

琴櫻が突き押し相撲と形容されるのは、まずは立合いのせいだろう。そのぶちかましは、大相撲史上ナンバーワンで異論は無い、かな?さらに、強烈なノド輪。北の富士も苦戦した。対戦成績は、北の富士が圧倒してるけど。

やっぱり琴櫻の特徴の一番は、筋骨隆々とした体だろう。筋肉トレーニングなんて無い時代、骨太そうな分厚い体だった。そして、その体に相応しい四つ相撲が中心だった。

ぶちかましとノド輪のイメージが強過ぎたのもあるし、四つ相撲にしては投げが少なかった。柔道出身で当初は投げ技が多過ぎで、そのうえ大きなケガもあって投げ技をしなくなり、前に出る相撲が中心になった。

前に出る相撲とは言え、上手か下手かどちらかを引いていた独特の取口、上手を引いてのノド輪に下手を引いてのおっつけ、そして出ながらの上手投げも強烈だった。そして極め付け、やはり琴櫻と言えば、両廻しを引いての吊り出しが豪快無比だった。

突き押し相撲って言葉じゃ表せない、唯一無二の取口の力士だった。考えてみると、当時は唯一無二の取口の力士ばかりだったような気もするけどね。

大相撲力士名鑑 : 琴櫻




砂かぶりの夜

2件のコメント

  1. 琴櫻は早世した玉の海に分が悪かった。対戦成績12勝25敗だが、玉の海が亡くなる直前まで14連敗で終わった。初期は琴櫻が10勝4敗とリードしていたが、琴櫻大関昇進後は相口が逆転した。どちらも柔道出身だが、四つ相撲の技術で大きな差があったのだろうか。玉の海存命ならば琴櫻の横綱昇進は叶わなかっただろう。
    琴櫻のぶちかましをテレビで見たアンドレ・ザ・ジャイアントが驚いたとか、柏戸と稽古して、柏戸の胸から血が吹き出したとか、ぶちかまし関連のエピソードが多い。現役力士なら北勝富士が近いか。北勝富士は竜電戦の立合いで首にケガしてしまい、最近はやや左にズレる立合いを多用しているが。
    稽古場の強さは定評があって、幕内上位から三役で活躍していた弟子の琴風が稽古場で、現役を引退した琴櫻改め佐渡ヶ嶽親方に全く歯が立たなかった云々のエピソードが残る。最近は強くて怖い親方が少なくなった。荒磯親方(稀勢の里)は怖くないイメージだし。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    琴櫻のぶちかましをアンドレが見ていたというのは初めて知りました。千代の富士のスピード相撲にスタン・ハンセンがファンになったというのは知ってましたが。ぶちかましというと、中あんこ型を連想しますが、琴櫻は固太りの筋肉質。それに骨も太そうな体でした。玉の海とは右の合四つ、かいな力は圧倒的に琴櫻でしたが、胸の合わせ方が格段に巧い玉の海に組まれると、琴櫻は窮屈そうに相撲を取っていた記憶があります。

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