旭川 双葉山

土俵の華「手取り力士」 旭川 と 出羽湊 と 両國





昭和初期には、個性的な手取り力士が輩出されました。旭川は立浪部屋で、双葉山・羽黒山・名寄岩の参謀的存在でした。177㎝・90kgの体で関脇を張り、ハンパ相撲の代表格的存在でした。

上の写真は旭川と双葉山、下の写真は旭川と名寄岩です。

旭川 名寄岩

いつも立ち腰で相撲をとり、「押し相撲でも寄り相撲でもないから、腰を割っていたんじゃ相撲がとれない」と言っていたそうなのですが、果たしてどんな相撲だったのか。

昭和初期の映像が残っているのは双葉山関係が多く、双葉山と同部屋だった旭川は対戦が無いので、残念ですが見ることは難しいようです。しんらつな相撲と表現されますが、見てみたいものですね。

同時代で同じような体格で、手取り力士として活躍した出羽湊は映像が残っています。全盛期の双葉山・羽黒山・名寄岩を相手に、立ち腰気味の相撲で善戦しています。出羽湊も177㎝・98kgの体で関脇を張っています。昭和14年の初場所、幕尻から2枚目の前頭17枚目で平幕全勝優勝を果たします。

出羽湊 平幕優勝

この場所は13日制で行われていますが、13日間の決まり手が、初日:突き出し・2日目:出し投げ・3日目:押し出し・4日目:下手投げ・5日目:浴びせ倒し・6日目:わたし込み・7日目:叩き込み・8日目:すくい投げ・9日目:突き出し・10日目:下手投げ・11日目:上手投げ・12日目:突き倒し・千秋楽:肩すかし、と突き出しと下手投げが2回あるだけで、あとは全部違います。これだけの決まり手を一場所で出すのは、もう今後は無いことでしょう。

そしてやはり同じ時代に、176㎝・88kgの関脇両國がいました。旭川・出羽湊が千変万化の業師だったとしたら、両國は豪力の手取り力士といえるでしょう。やぐら投げを得意としていましたが、小さな体で相手を吊り上げておいて振り回す、豪快な取口だったといいます。

両國

両國といえば、双葉山戦の物言いの一番が有名です。双葉山の寄りを土俵際で打っちゃった両國、双葉山に上がった軍配に控えの玉錦・男女ノ川の両横綱が物言いをつけ、30分間に及ぶ大物言いとなりました。

双葉山の足が早く出たのはあきらかで、両國の体があったかどうかがポイントになりました。全身バネのような両國ですから、体があったのか無かったのかの判断が難しかったと思われますね。

取り直しで双葉山が勝ちますが、もし両國の勝ちとなっていたら・・・連勝記録は48で終わっていたことになります。このときの写真は以前に一度見たことがありますが、倒れそうな両國に大きく足を踏み出す双葉山、微妙でした。いつ、何の本で見たのか、残念ながら覚えていません。

昭和初期は、軽量の手取り力士が土俵に風雲を巻き起こしました。

力士名鑑 : 旭川  出羽湊  両國




2件のコメント

  1. タカヤマさんへ
    コメント、ありがとうございます。
    貴重な映像ですね。四股名だけでの検索では、出てこないものもあるのですね。たいへん参考になりました。大ノ里や清水川、幡瀬川など、いろいろと探してみたくなりました。

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