曙が亡くなった。54歳という若さ。外国人力士初の横綱として、相撲史にその四股名を刻んだ曙。当時、外国人力士が綱を張るということは、大相撲ファンにどう受け止められたのか、それは覚えていない。しかし、私がどう受け止めたかは記憶の隅に残っている。
曙の師匠、高見山は関脇まで上がったけれど、豪快に負けることで「華」があり、あくまで「花形力士」という立ち位置だった。その高見山を見て、やっぱり相撲は日本人向きの競技だ、外国人はあんなに豪快に投げられる、そんな体質なんだ、足も長いし、と思ったものだった。
日本人向きの競技だから、相撲は日本の国技だと、高見山が活躍していた時代は本気で思っていた。だから曙が番付を上がってきたときも、関脇ぐらいになったら豪快に負けるんだろうなと、冗談じゃなくて本気で思っていた。
しかし曙は負けなかった。下半身も柔らかかったし、突き押しで一気に突進しても、土俵際で逆転されない。バスケットをしていたから、体をストップさせることが出来たのかもしれない。
たぶん私は、壁に当たるのを期待していたと思う。まさか横綱には上がるまい、と思っているうちに横綱になってしまった、という感じだった。
突き押し相撲の横綱というのも当時はいなかったし、本当に突き押しメインで横綱に上がれるのかな、とも思っていた。実際のところ、太刀山と曙は似ていたのかもしれないが。
貴乃花の二子山勢と、武蔵丸の武蔵川勢の中で、曙と、そして魁皇も、本当に頑張った。世の中は不公平なものだ。曙は若貴のライバルとしてヒール的存在と見られたかもしれないが、むしろ全盛の二子山勢に一人で立ち向かう健気なイメージがあったし、実際そうだった。
横綱で3連覇し、さらに1場所おいて優勝した翌場所、初日から10連勝していたところでの大きなケガ。貴乃花よりも先に横綱になり、ケガ前は優勝回数も上回っていたのに。
だからヒールと呼ぶには気の毒なことが多過ぎたし、横綱に昇進する前に、横綱になって欲しくないなぁと少し思っていた後ろめたさもあって、私の中で曙はヒールではなかった。
もう一つ、格闘技に転向し、さらにプロレスラーへと進んだ曙に否定的な話が多い。「私にとっては、曙は力士の曙」みたいな感じで。その気持ちは分かる。
しかしプロレスをしている曙の動きは、これは明らかにプロレスラーとしてのセンスがあったと分かるものだ。年齢的には厳しかったけど、プロレスラー曙も素晴らしかったと、私は思っている。お疲れ様でした、横綱曙太郎。
曙は大相撲よりもプロレスファンや関係者に絶賛されている。
>>曙の本当の全盛期をあなたは知らない
>>https://note.com/inoobook/n/n4a9b0fbae4ba?utm_source=pocket_saves
2009年5月5日の土井成樹戦、自分の半分以下の体格の土井選手とのプロレスを成立させている。
>>https://www.youtube.com/watch?v=B6lrRaJrVxk
ジャイアント馬場未亡人の馬場元子氏のサポートを受けて「王道」というプロレス団体を立ち上げたが、2017年病に倒れた。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
曙の大相撲とプロレスでの共通点、それはセンスの良さと人間性にあったと思います。どちらでも記憶に残る時代を作りましたが、なぜか曙の相撲やレスリングには切なさが感じられるものがありました。巨体だからこその、切なさがあったと思います。だから、記憶に残る勝負が多かったのでしょうね。