貴ノ花 以来ぐらいの大相撲ファンの思い入れを感じるのが 炎鵬 です





炎鵬が勝ち越した。今までと雰囲気が違った、久々に感じるもの。近いものと言えば、北の湖に勝ったときの貴ノ花か。優勝したときのじゃないよ、普通に勝ったときの感じに近い。

舞の海が勝ったときの反応というのは、なかなか見られないものを見たという感じだったかなぁ。舞の海は、舞の海流の動きと決め技を持っていた。

炎鵬は、炎鵬の体でオーソドックスな相撲を貫くことを、炎鵬流の相撲と考えているかのようだ。もちろん、炎鵬は自然に相撲に向かっているわけで、こちらがストーリーを作っているだけだが。

その炎鵬の相撲に、そして勝ったとき以上に、負けたときの表情や仕草に見る側は共感を持ち、イメージを膨らませていく。その感覚は貴ノ花に通じる、舞の海よりも。

昭和40年以降の土俵で考えると、貴ノ花が一番の人気力士だった、と思う。レコードになった武蔵山や映画になった名寄岩や、強くて超イケメンだった吉葉山と、私が生まれる前の人気力士とは比較できないが。

それでも、ここ50年で一番の人気力士と比較できるところに、炎鵬は近づいていると思う。今日の炎鵬が勝った瞬間の、大歓声というよりも無言に近い心の声・・・大相撲ファンの安堵と喜び。

声援の理由には、連勝しているから・先場所が好成績だったから・大関を狙う場所だから・有望な若手力士だから・地元だから、etc・・・あるだろう。

しかしシンプルに、「応援しているから応援する」という思い入れの強さが破格な力士は、貴ノ花以来の50年振り・・・言い過ぎか、言い過ぎだな。それでも、関脇以上の可能性を探っていこうと思う私であった。

大相撲力士名鑑 : 炎鵬




2件のコメント

  1. >>昭和40年以降の土俵で考えると、貴ノ花が一番の人気力士だった、と思う。
    同感です。昭和45年九州場所、7勝8敗で負け越したが、福岡スポーツセンター特別表彰を受けた。
    負け越した力士が表彰された(確か千秋楽の土俵上だったか?)唯一のケースだと思う。昭和40年代前半の大相撲どん底時代の救世主だった。
    炎鵬、夏場所千秋楽の松鳳山戦の敗戦→負け越しで表彰されたら、貴ノ花に追いつくと本気で思った。名古屋場所は勝ち越したが、三賞獲得は難しそうか。

    ただ、人気力士は酷使される。「遠藤の塩インタビュー」がSNSで話題になったが、貴ノ花もインタビューは愛想なしだった。当時の月刊「相撲」誌の「大相撲記者の匿名座談会」みたいな企画で「貴ノ花の大ファンで記者になったが、インタビューしたらイメージが違って驚いた」云々の発言があったと記憶している。炎鵬は大切にしてほしい。
    現役時代の稀勢の里も愛想なしだったが、荒磯親方になってから「協会の営業ナンバー1」に躍り出た。相撲協会「マゲのあるうちに使い倒せ」とか思ってないだろうな。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    炎鵬、勝ち越しましたね。さらにケガにも強くなれば、期待は膨らみますね。貴ノ花のイメージですか・・・風貌や佇まいは見る側の勝手で、やはり「鬼」の若乃花の弟ですからね。実際は違ったでしょう。稀勢の里は、久々の日本人横綱ということで、その人気には下駄を履かされてる感がありますが、炎鵬の人気は掛け値なしという感じです。そして遠藤の巻き返しにも期待です。花形力士対決というのも良いですね。

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