旭國

「ピラニア」 旭國 は、もっとも「相撲の神様」に近づいた力士





魁傑は、大相撲が一番大変だった時期に理事長を務め今の礎を築きました、と先日投稿しましたが、その記事の中で「世紀の水入り」の対戦相手だった旭國も親方として尽力しました。大相撲を取り巻く数々の問題が起こったとき、
巡業部長として常に厳しい姿勢を取り続け、力士を引き締めてきた親方でした。

横綱旭富士を育て、モンゴル人力士の育成でも先駆者的存在。現役時代のライバル、「タカちゃん」「ピラちゃん」「ゴロちゃん」 と呼び合う親友同士でもあった元大関貴ノ花の二子山親方と元横綱三重ノ海の武蔵川親方とは、親方としてもライバル同士、現役時同様に大きな功績を残しました。

( 「ピラニア」の旭國が、「ピラちゃん」ならば、「角界のプリンス」の貴ノ花は、「タカチャン」ではなく、「プリちゃん」では・・・?) 出番直前、闘志満々の旭國です。

旭國

現役時代の旭國は174cm・120kgの小兵大関、ニックネームは「相撲博士」「ピラニア」。技巧派ですが、見事な筋肉質の、力強い体をしていました。そのニックネームどおりに理詰めの相撲を見せましたが、旭國の特筆すべき
ところはその守備力でしょう。

魁傑との「世紀の水入り」も凄かったですけれど、昭和50年秋場所12日目の貴ノ花との2分を超える大熱戦は、動きが止まることはほとんど無く、両者ともに絶体絶命の場面を何度も切り抜ける、壮絶な勝負となりました。

スイ臓炎で入院していながら病院を抜け出して勝ち星を上げた話など、もう言い尽くされているので割愛しますが、病気になる前までは前半戦の取りこぼしが少ない、小兵ながらも本当に強い大関でした。

旭國はその信条は、「簡単に手を付かない、簡単に土俵を割らない」 でした。もちろんそれは、「簡単に」 実行できることではありません。それを実行し、輪湖時代の土俵をわかせました。貴ノ花・三重ノ海・魁傑・高見山・鷲羽山・富士櫻・増位山・栃赤城・・・、旭國がらみの名勝負が思い浮かびます。

旭國は、「闘魂」という文字が似合う力士でした。「相撲の神様」と謳われた、大関大ノ里にもっとも近づいた力士とさえ言われた旭國。こういう大関を見てきたから、宇良にも大きな期待を掛けてしまいますね、小兵大関の夢を。




力士名鑑 : 旭國

砂かぶりの夜

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