戸田 大鵬 世紀の大誤審

羽黒岩 というよりも 戸田 のイメージがあるのは「世紀の大誤審」






スピード相撲の羽黒岩、というよりも、やはり「戸田」の方が印象は強いですね。昭和42年初場所、本名の戸田で入幕した羽黒岩は当時20歳。活きの良い押し相撲で、1場所前に同じく20歳で入幕した「牛若丸」藤ノ川とともに注目されます。

しかし「羽黒岩」よりも「戸田」の印象が強い、その決定的な理由は別にあります。それは、「あの」大鵬戦当時の四股名が戸田だったからです。昭和44年春場所2日目のことでした。

昭和以降では双葉山の69連勝に次ぐ45連勝を記録していた大鵬の連勝をストップした、というより「世紀の大誤審」の方が通りが良いかもしれません。今では当たり前の、勝負判定にビデオを使用するきっかけになった一番です。(実は厳密に言えば、この相撲がきっかけではありませんが)

余談ですが、当時はスローモーションビデオというのも、まだ開発段階だったのでしょう、「只今の一番」の再生には「分解写真」が使われていました。見づらかったですね、「分解写真」。

さてその後DVDなどで、この大鵬ー戸田戦を見る機会はありますが、実際のところ「何で見間違えるんだ」と思うほど、早い段階で戸田の足は土俵を割っています。

などとは、今だから言えること。当時リアルタイムで見ていた者にとっては全く違うのです。戸田のぶちかましからの押しに、大鵬は一瞬大きくよろめきます。「大鵬が負けた」と本当に思いました。それは、戸田の押しの速さだからこそでしょう。それだけ、戸田の押しには勢いがありました。

大鵬が負けたと思い、軍配が大鵬に上がってほっとして、そして物言いの結果に愕然とし・・・。常勝大鵬に、「大鵬負けろ」という言葉が流行った(?)のもこの頃でしたが、連勝記録を期待していた、この時だけは「大鵬負けるな」でした。

ほろ苦い記憶とともに、世紀の大誤審を生んだ戸田の速攻もまた忘れられません。




力士名鑑羽黒岩

砂かぶりの夜

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