朝青龍

朝青龍 の黄金色に彩られた13日間だけの春、平成17年春場所

平成17年の春場所、朝青龍は7連覇・年間完全制覇・年間最多勝記録更新の大記録に挑戦する真っ只中、その熱狂の渦に向かっていく「春」の中にいました。

良きにつけ悪しきにつけ、人の心に様々な想いを起こさせ、そして芽吹かせる「春」、朝青龍は目にも眩しい黄金色の締め込みで臨みます。前年にも年間5場所を制覇し、世はまさに栄華の春を朝青龍は迎えようとしていました。

朝青龍 黄金廻し

序盤の6日目まで、黄金の廻しに手も触れさせない快進撃の朝青龍。7日目に初めて廻しに触れた出島は、思いっきり土俵にたたき付けられ、腹を擦りむきました。

朝青龍 出島 黄金色廻し

全勝街道の朝青龍、12日目にして追ってくる力士は3敗力士のみ。雅山を上手投げで豪快に引っくり返し、優勝に王手が掛かりました。しかしこれが黄金色の廻しで飾った、最後の白星となります。

朝青龍 黄金色廻し

13日目の栃東戦、朝青龍は栃東を寄り倒しますが、物言いついて取り直しの末の黒星。この本割の一番について、「勝っただろう。オレは見てたんだ」と平然とコメントする朝青龍。

朝青龍 栃東

たしかに、微妙に朝青龍に分があるようにも見えました。この一番がもし軍配通りに朝青龍の勝ちとなっていたなら、千代の富士の53連勝に挑んでいたことになります。

そうなると、この年の名古屋場所の8日目に琴欧洲に敗れたとき、朝青龍は53連勝のタイ記録寸前、まさに52連勝で終わるというドラマになっていました。

栃東に敗れた翌日から、朝青龍の締め込みは元の黒に戻ります。そして2度と黄金色にすることはありませんでした。13日間だけの黄金色。この場所、朝青龍は14勝1敗で優勝。3場所連続で、千秋楽を待たずの優勝でした。

朝青龍

3場所連続で千秋楽を待たずの優勝は、昭和43年の大鵬、昭和63年の千代の富士に次いで3人目。ちなみに大鵬も千代の富士も3場所まででしたが、朝青龍は翌場所も千秋楽を待たずに優勝を決め、4場所連続の記録となります。

まさに無人の野を行く朝青龍。白鵬の台頭には、まだ間がありました。白鵬はこの場所、関脇で8勝7敗。黄金色の廻しの朝青龍に11日目、為す術もなく寄り切られます。

朝青龍 黄金色廻し 白鵬

平成17年春場所、朝青龍の優勝談話、「今場所は相手の動きだけでなく、自分の動きもよく見えたのでチェックができた」。何気なく言っていますが、自分を俯瞰して見えていたということでしょう。以前に同じことを聞いたのは、西鉄ライオンズの稲尾投手。「神様、仏様、稲尾様」の稲尾投手以来でした。

このころから、朝青龍の稽古量は目に見えて減っていきます。減っても、大関以下の力士との差は開く一方でした。そして平成17年九州場所、ついに我が世の春、7連覇・年間完全制覇・年間最多勝記録更新を達成します。

朝青龍 7連覇

13日間の黄金色の廻しの春場所は、朝青龍時代の象徴であり、また朝青龍におごりの心が芽吹いた春だったのかもしれません。ちなみに前の場所、初場所に起こったこととは・・・。

魁皇の綱取り失敗、若の里の大関取り失敗、そして苦手にする栃東との対戦成績が五分になった場所。つまり朝青龍が意識する力士が、ちょうど失速した時に重なります。

ライバル不在、独走時代の始まり。黄金色の廻しは、朝青龍による「独走宣言」というべきものでした。朝青龍が引退を表明するのは、これから5年後の平成22年初場所後。時に朝青龍は29歳、黄金の春から5年後。30歳の春は見ることのない引退でした。

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砂かぶりの夜