輪島 黄金の左下手投げ、実は黄金の右だった





今更ながらですが、下手からの攻め中心の力士は大成しないと言われています。そして実際にそうです、輪島をのぞいては。

輪島が番付を上がってきた昭和45~47年、社会はいわゆる学生運動の色が濃い、フォークソングの時代でした。

無精ヒゲを伸ばし、不機嫌そうな表情で背中を丸めて歩く輪島の姿は、若者の反骨の時代を象徴していたような存在だったという気がします。

小豆色の廻しも当時では珍しいものでした。左下手を引いて、少し斜に構えて右から絞るスタイルは、先達の教えに反抗する風でもありました。 下手投げは、右から絞って焦れる相手をおびき寄せるようにして仕留める技で、 確かに王道とはいえないものです。

かつてシラケ世代という言葉がありましたが、下手投げを決めて、背中を丸め気味に勝ち名乗りを受ける輪島は、シラケ世代の空気感と反骨を漂わせ ていました。そして「黄金の左」が代名詞となります。

しかし本当のところは、その右からの絞りとおっつけが強烈だったからこそ下手投げが決まったのでした。怪力の、実は「黄金の右」だったのです。

昭和48年名古屋で横綱に昇進した輪島は、小兵を巧くさばき、がっぷり四つでも取れる正統派の相撲に徐々に変わっていきます。時代も反骨と シラケの時代を通り過ぎ、気が付けば廻しの色も小豆色から金色へ、そして輪島の顔から無精ヒゲもいつの間にか消えていました。

引退後、38歳でプロレスデビュー。周囲のシラケた視線の中、やられっぷりも見事なプロレスを見せました。輪島、最後の反骨でした。



力士名鑑 : 輪島

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