把瑠都

把瑠都 の吊り出しを、あと何回か見たかったなぁ





把瑠都が引退して、もう3年半です。横綱に成れた力士でした。それはあの恵まれた体だけでなく、把瑠都は格闘家としてのセンスが抜群だったからです。

細かい部分で言うと、琴奨菊に廻しを切られてから引きなおす動きや、稀勢の里に上手の良い位置を引かれたときに素早く左からすくった動きなど、ともに体格を生かし、それを実際に出来る反応の良さが見事でした。特に稀勢の里は、なかなか把瑠都に勝てずに苦労しました。

「体格任せの粗い相撲」「課題だらけ」などの論評が当時ありましたが、体格の良い力士が、体格を生かした相撲を取るのは理に適っていました。体格を生かした相撲もそんなに簡単なものじゃないわけで、それは一つの技術だったと思いながら見ていました。

ケガのために引退したわけですが、これも稽古不足を指摘され、結局は「把瑠都の自業自得」という話で終わりで、それはその通りかもしれません。

昨日、高見山の記事を投稿した中で、ぶつかり稽古で高見山に胸を出す北の富士の画像を載せました。高見山がヒザが固かったのに39歳11ヶ月まで現役で出来たのは、砂まみれになったからだと書きました。

把瑠都のケガは、倒れ方が下手だったということに尽きるでしょう。言うまでもなく、それはぶつかり稽古の不足が原因です。やはり稽古不足、ということになります。

しかし本来、というか大相撲の歴史の中で、「○○○ のおかげで強くなった」というような、胸を出すのをいとわず、若手を育てた力士の話が、かつては多かったはずです。東富士と初代若乃花、佐田の山に琴櫻など・・・。

把瑠都に胸を出すのは、それはそれで大変だったでしょう。把瑠都のぶつかり稽古への姿勢も、今となっては分かりません。もう3年以上も前の話です。

ただ、豪快な吊り出しは良かったですねぇ。腰で吊るのではなく、まさにパワーで吊る、そんな吊り出し。もう少し、見ていたかった力士でした。あと、あの明るさも。




力士名鑑 : 把瑠都

 

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