琴ヶ濱

「元祖南海の黒ヒョウ」 琴ヶ濱 の内掛けはリアルタイムで見られなかった





内掛けの琴ヶ濱は、引退したのが私が2歳のとき。現役のころの記憶は、ほぼ間違いなくありません。ただ記憶にあるのは、尾車親方がテレビに映ったり相撲雑誌などに出たりすると、敏感に反応してたということです。

今それを分析すると、原因は「内掛け」にあったと思います。あれが内掛け名人だった琴ヶ濱の尾車親方か・・・、という思いで見ていたような気がします。

吊り出しを仕掛ける力士が多かった時代ですから、その対抗策としての外掛けはしばしば見ることができましたが、やはり比較的、内掛けは少なかったように思います。

もう一つは子ども心に、内掛けは難しそうな技だと感じていたとも思います。難しい技の使い手だから格好良い、という論理ですね。小学校に上がって友だちと相撲をとるようになると、その思いはさらに強くなっていったのは間違いありません。

自分で相撲をとると分かってくるのが、友だちが無理な投げを仕掛けたり、踏ん張ったりするとき、外掛けは意外と簡単に決まるのです。面白いように外掛けと、そして切り返しは決まりました。しかし、なかなか内掛けは決まりませんでした。

内掛けは相手が踏込んでくるときに決める技で、小学生は相手を引っ張り込むばかりで、自分からきちんと攻め込むということはできません。だから私も、内掛けを気持ちよく決めるチャンスは少なかったのです。「内掛けは、やはり大相撲の技だなぁ」などと、子ども心に思っていたのでしょう。

その内掛けを颯爽と決めていた「南海の黒ヒョウ」、琴ヶ濱へのあこがれ。廻しを細めにしてキツく締め、相手に上手を与えない、あるいは引いてきてもすぐに切ります。そして相手が廻しを引こうと足を踏み込んだ瞬間・・・。

琴ヶ濱 内掛け

内掛け一閃、相手力士は仰向けに。まさにプロの技、小学生じゃ使えない・・・って当たり前だっ!やはり子どもには、大鵬よりも業師の方がインパクトがあったかもしれません。ちなみに写真の内掛けは、上手を取りにきたところを仕掛けたものじゃないみたいですね。

大相撲力士名鑑 : 琴ヶ濱

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




5件のコメント

  1. 1971年ごろから毎月大相撲、相撲を買ってよく見てました、懐かしいなー・・・・

  2. すも吉さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    1971年頃、私も毎月大相撲と相撲を買っていました。業師が多く、土俵が華やかだった時代ですね。当時の相撲誌を、今見てみたいです。特に陸奥嵐のノド輪で土俵際で弓なりになった玉の海が、マンガみたいにビョ~~ンと元に戻ったり、やっぱり玉の海が高見山を高々と吊り出した写真など見てみたいものです。

  3. タイヘイさんは玉の海が好きだった様ですね、私も好きでした‼夕方学校から帰ったら姉から玉の海が亡くなったよって聞いて玉の海梅吉亡くなったんだと思ったら横綱の方だとわかりスゴくショックだったのを覚えています。

  4. すも吉さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    私が玉の海の死を知ったのは、NHKのニュースでした。白黒テレビの画面に映った、玉の海の不知火型のせり上がりの画像を今でもハッキリと覚えています。昭和40年代は魅力的な力士が多かったですね。廣川・海乃山・若浪・二子岳・藤ノ川、色白の力士と小兵の力士を応援していた記憶があります。

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