前田山 張り手

前田山 の張り手旋風と、白鵬 の張り差し、朝青龍 の張り差し





前回の白鵬の張り手の流れで、張り手の横綱前田山について。その張り手に羽黒山は怒り、双葉山は相撲の技と認めたといい、当時から二人の大横綱をしても意見が分かれたのが張り手でした。

前田山は取的時代から粗暴な力士だったと言われておりますが、その時代の前田山と羽黒山です。同い年の前田山と羽黒山、しかし入門は5年も前田山が先輩です。

前田山 羽黒山

奥の方で微笑んでいる筋肉質っぽい好青年風が羽黒山、対して前田山はちょっと横目でにらんでいるようにも見えます。いかにも、のヤンキー顔ですね。「筋肉では勝てないが、イザとなったらヤッちゃうよ」という兄弟子オーラを羽黒山に放っている、って感じの前田山です。

相撲は張り手交じりの突っ張りから、がっぷり四つに組んでの横吊り気味の吊り寄りという、気風の良いものでした。YouTubeで見る前田山の相撲は、シンプルに、格好良いなぁと思います。

同じタイプで気風の良い相撲をとった力道山を、プライベートの時に張り手で失神させたという説もありますが、気性の激しい者同士、有り得ると思われますね。力道山が後輩でまだ細かったでしょうから、天下の空手チョップも、当時の張り手勝負では完敗だったのでしょう。

ウィキペディアでは180㎝で、なぜか120kgとなっていますが、実際は116,3kgですね。この体で王者双葉山、怪力羽黒山、超アンコの照國と凌ぎを削ったわけです。双葉山と照國には分が悪く、6勝7敗と健闘した羽黒山は「張り手は喧嘩」だと言って、認めなかったという話ですね。何となく、分かるような・・・。

前田山

この眼の付け方、正真正銘、ホンマモン。右腕にある「前田山」の四股名の由来となった、深い傷跡も迫力です。これで張り手をされて、相手が「横綱の品位」などと口にしたら、張り手をもう一発追加されそうです。まぁ、横綱審議委員会が出来る原因にも関わり、品格や品位には問題があったと言わざるを得ないかもしれません。

当時の相撲では張り差しという立合いは、まだ無かったのかな?前田山は張り差しではなく、普通の張り手。白鵬の取口と比較うんぬんは、・・・微妙ですね。福の花や旭道山への流れでしょうか。

横綱の張り差しと言えば、北の富士や三重ノ海が少し見せた程度ですか。張るというよりも、相手の顔を横に向けるレベル。どうしても左四つになりたかった、北の富士と三重ノ海。

張り差しが「武器」というレベルに達したのは、やはり朝青龍でしょう。立合いに腰を入れて、強めの張り手を入れていく「張り差し」が開発されたのは。前田山の曾孫弟子ですね、野球問題とサッカー問題でも衣鉢を継いでしまいましたが・・・。

張り手と張り差しということで、結局は前田山と白鵬は論じる部分が重ならないのかな、という感じです。さて前田山の引退相撲、羽黒山同様、いろんな意味で前田山を苦手とした東富士。微妙な空気の流れる、引退相撲の写真であります。

前田山 羽黒山 東富士

「何で、オレが太刀持ちなんだ」・・・by 羽黒山。「何事もなく、このまま時が過ぎていってほしい」・・・by 東富士。

大相撲力士名鑑 : 前田山

 

パワーストーンブレスレット:ローズクォーツで赤房をイメージしました




2件のコメント

  1. とにかく前田山という力士は評価が難しい。粗暴、最弱の横綱、相撲の国際化を勧めた功労者etc.
    どれも正解なんだろうが、リアルタイムで見ていないこともあって、力士、というより一人の人間としてイメージが掴めない。
    人の好き嫌いが激しいのかな、とも思うが、プライベートで張り倒した力道山とは、力道山が刺される当日まで一緒に飲んでる仲で、危うくアントニオ猪木が相撲取りにさせられるところだった。
    野球観戦で横綱クビになった2年後の1951年に現役3力士連れてアメリカ巡業している(スパッツ?の上からまわし締めて相撲取ってる写真を見たことがある)のも凄い。

    >>張り差しが「武器」というレベルに達したのは、やはり朝青龍でしょう。
    正解だと思います。さらに白鵬が「立合いに張り差しを選択しました」レベルまで普及させた、と考えます。
    前田山の引退相撲の写真、素晴らしいな。犬猿の仲の羽黒山、前田山にイジメまくられた東富士、まあ太刀持ち・露払い断るわけにはいかなかったんでしょう。

  2. shin2さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    前田山の高砂親方は、リアルタイムでは千秋楽の賜杯贈呈の土俵で並んでいる親方の中で、もっとも顔が恐い親方でした。それ以上は、確かにいろいろな面を持った人だったという印象ですね。それを考えると、リアルタイムで見てきた場面は、キチンと文章に残していこうと改めて思います。「張り差しの歴史」も、その一つなのでしょう。

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