力道山 力士

スーツ姿の力士 力道山 が関脇復帰の番付を見て喜ぶの図





力道山は戦後日本のスーパースター、「巨人・大鵬・卵焼き」は子供たちの好きなものという括りですが、栃若時代と力道山は大人たちのスーパースター。そして、「好きなもの」というレベルではなく、そこには「熱狂」という言葉が似合いました。

力士時代の力道山は、幕下時代から千代の山と並ぶ有望力士でした。優勝決定戦の制度ができた昭和22年6月、力道山は入幕2場所目で9勝1敗、いきなり優勝決定戦に進出します。

羽黒山・前田山・東富士との4人の決定戦で力道山は横綱の羽黒山と対戦、左四つから寄りつめて土俵際で右外掛け。これを羽黒山が打っちゃって、この場所は羽黒山が優勝するわけですが、微妙な一番だったと伝えられています。

力道山

力士時代の力道山は、結構なイケメン力士だったようです。しかし相撲内容は激しい気性からの突っ張り、上手投げも豪快。関脇でも勝ち越して、大関候補になった直後の廃業でした。二所一門での若乃花や芳ノ里(後の日本プロレス社長)との猛稽古は有名です。

栃錦とは同学年、「もし」と考えれば、栃若時代の土俵が違った風景となっていたでしょうね。若乃花は稽古で鍛えた弟弟子、同い年の栃錦と幕下からのライバル千代の山は出羽一門。一門同士のプライドをかけた、より壮絶な栃若時代が想像できます。

力道山 力士

さて、チャンマゲにスーツ姿の力道山、番付発表を見て喜ぶの図です。戦後間もない頃ですが、力士のスーツ姿はやはり珍しいと感じます。やがてプロレス界に身を投じ、さらに実業家としても活躍する力道山のセンスは、さすがに一味も二味も違うものだったのですね。よく見てみると、格好良いです。




力士名鑑 : 力道山

 

2件のコメント

  1. 力道山は相撲部屋に入ってかわいがりを受けたからあのような性格になったんですかね?
    昔の相撲界は今とは比べ物にならない位、理不尽でしたし。
    それとも元々、人を平気で殴る人間だったのでしょうか?

  2. 伊藤さんへ
    コメント、ありがとうございます。
    力道山は当初は、「金、金」と呼ばれていたようですが、早いうちから「力さん」に変わったと言われています。そこを考えると、かわいがりも早いうちから、かわいがる方に立場が変わったのでしょう。人を平気で殴るというよりも、いざとなれば、それ以上のことを出来たと思います。なぜなら、あの「鬼の木村」に仕掛けたのですから。常人が出来ることではありません。命が掛かっていたと思います。実際に力道山の弟子、ジャイアント馬場は、木村の弟子の岩釣から命を狙われたわけですから。

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