琴櫻 奥さん

照ノ富士に綱の品格を感じ、そして57年前の琴ノ若のお祖父さんの大関取りの話

大相撲1月場所11日目、照ノ富士から霧島・豊昇龍・琴ノ若が初白星を上げられるか?という場所前の最大の興味が、最高の形になって終盤戦となった。直接対決への期待が高まる。誰が、照ノ富士を超えるのか。

そして今場所の照ノ富士の土俵態度と相撲内容には、綱の意地というか、悲壮感を内に秘めた闘魂を感じる。復活場所という気負いもなく、自分本来の相撲を取ることに集中している。そこに「横綱の品格」を感じる。こういうのを「品格」って呼ぶんじゃないかと。

ところで、今回は昔のことを書く。元々が昭和の大相撲を書くために始めたブログだから。大関取りに注目が集まる琴ノ若に絡めて、祖父である琴櫻の大関昇進時のお話。

琴ノ若は今場所で13勝を上げれば、直近3場所で33勝になる。今日の大相撲中継の芝田山が「琴ノ若は13勝以上しそうだ」と語っていたのは、この3場所33勝を意識した発言に聞こえた。

今から57年前の9月場所、琴櫻は5月に10勝、7月に11勝を上げて迎えた。そして9月場所の千秋楽、ライバルだった大麒麟に敗れるも11勝4敗の成績で、場所後に大関に昇進する。直近3場所で32勝だった。

大麒麟は5月に12勝、7月に10勝を上げ、9月場所は千秋楽で琴櫻を破って10勝5敗、同じく直近3場所で32勝だった。しかし大麒麟は「もう一場所」となり、結局それから大関に昇進するまでに3年以上の歳月を必要とした。

同じ二所ノ関一門で大麒麟は二所ノ関部屋、琴櫻は佐渡ヶ嶽部屋。入門は大麒麟が1年ほど先輩。両力士ともに、初めての大関挑戦の場所だった。言うまでもなく、当時は大関昇進に「直近3場所」の概念は無かった。

だから11勝4敗を2場所続けた琴櫻と、10勝5敗を2場所続けた大麒麟の比較みたいな感じだったのか、しかし当時を振り返って大麒麟は「会社の同僚だった奴が、いきなり上司になったようなものだった」と、かなり不満だったようだ。

書籍やウィキペディアにある昭和の力士のコメントを見るとき、当時の上下関係や状況などから、「そのコメントは真偽を疑う」と思われるものが、ときどきある。

しかし「同僚」とか「上司」などといった力士が使いそうじゃない言葉があるだけ、逆に本当に語っていたように感じる。「直近3場所の成績は、32勝で一緒じゃないか」と。

ちなみにその前年、北の富士は3場所28勝で、玉の海は3場所30勝で大関に昇進している。北の富士も玉の海も人気の花形力士であって、ポスト柏鵬を期待される実力者でもあった。そして番付は、豊山の一人大関というのもあった。

だから当時の私の意識として、北の富士の昇進も玉の海の昇進も、そして翌年の琴櫻の昇進も当然と受け止めた記憶がある。大麒麟の昇進見送りには、小学一年生だった私は「微妙~」と思った。

やっぱり言えるのは、「直近3場所」よりも「昇進を決める直近1場所」と「横綱を強く期待できる」という2点が、当時は重要視されていた。

これに今の「直近3場所」を加味すると、琴ノ若は横綱を期待できる相撲内容ならば、12勝3敗でも大関昇進っていうのが妥当でしょうか。まぁ、稀勢の里も豪栄道も32勝だったけどね。

ちょっと昔のお話でした。57年前は、ちょっとじゃなくて大昔か。

大相撲力士名鑑 : 照ノ富士

砂かぶりの夜

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