栃ノ海 は技巧派だったって書かれてることが多いけど実際は力強かった





栃ノ海が亡くなった。これで私が大相撲を見始めたときの横綱が、皆鬼籍に入った。昭和の大相撲の象徴的な存在だった小兵横綱、100㎏ちょっとで横綱はもう現れまい。

ほとんどの名鑑等で、栃ノ海の体重は110㎏になっている。しかし今回のマスコミでの栃ノ海の体重は、100㎏余としているところが多い。昔の映像を見ると、110㎏あるようには見えない。昔は結構、サバを読んでいたと思う。

このブログでは、栃ノ海のことを2回書いている。昭和の大相撲をYouTubeで見て、一番インパクトがあるのが栃ノ海だ、みたいなのを書いている。

今回、多くの記事は栃ノ海のことを「技巧派」と書いているようだが、違うと思う。あの小さい体で大鵬や柏戸と相対していたのだ、技巧を前面に出す相撲では相手にならない。

栃ノ海は、とにかく体が強かった。筋肉が凄かった。下半身のバネが強靭で、上半身は廻しの引き付けが強かった。だって大鵬なんて白鵬ぐらいの体があったから、100㎏ちょっとで渡り合うには半端な体じゃなきゃ出来ない。

栃ノ海の言葉で印象に残っているのは、「四股は踏んだ方の足に重心が掛かるから、上げた方の足は力が抜けて、足先は下を向いてなければならない」というもの。

だから、阿炎の四股のように足先が上を向いた四股は、いくら綺麗でもダメなんだろう。もちろん、阿炎の四股はファンサービスだと思う。普段は、あんな四股は踏んでいないはず。貴乃花だって四股のとき、足先は上を向いていたし。

佐田の山と栃光との猛稽古は有名だったが、気性は栃ノ海が一番激しかったらしい。佐田の山と栃光の突き押しも激しかったけど。栃ノ海が今、貴景勝の突き押しを受けたらどうだろうなんて思うけど、時代が違えば意味は無い。

栃ノ海のような相撲は、過去の遺物なのかな。遺物じゃないけど、そういう体型の力士も取口も、現れないから遺物になるのかな。現れたら凄いけど。その凄かった、栃ノ海・・・花田茂廣さんのご冥福をお祈りします。

大相撲力士名鑑 : 栃ノ海




砂かぶりの夜

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