北の富士のブログを先月からトップページにしている。業師:昭和の33人、というカテゴリーのブログもトップページに置いている。何事も初心に帰るという意味で、ブログを書き始めた16年前の、昭和を語る的な、そんなイメージを前面に出したいということだ。
だから、久々に北の富士のことを書いてみようと思う。とは言っても、「砂かぶりの夜」でも「大相撲になりました」でも結構書いているから、今さらという感じではある。
ただ、一つだけ、ある。思い起こすと、稀勢の里が若手力士のころ、「稀勢の里は、北の富士のような相撲を目指せ」的なことを、ブログで何度も書いていた。腰高な稀勢の里は、腰高でも横綱になった北の富士を目指せと。
当時の稀勢の里は体重が150㎏台で、アナウンサーが「まだまだ太れる余地がありますね」と、太ることを期待する実況をすると、北の富士は「これ以上、太る必要は無いですよ」とコメントを返したのを覚えている。アナウンサーは、不思議そうなリアクションだったけれど。
結局、稀勢の里はそこから20㎏以上増量し、北の富士のような相撲とは程遠い型で相撲の型を完成させた。まぁ、稀勢の里に限らない。現代の足の長い力士たちの目指すベストの相撲の型は、北の富士の相撲の型に他ならない、という気がする。
しかし、結局は誰も真似できないだろう。なぜに真似を出来ないか、それを文章にしようとしたら、かなり大変だ。書けそうだと思ったら、また北の富士のブログを更新しよう、と思う。
玉ノ海梅吉が、「底の浅い現代相撲の典型」と命名した北の富士の相撲の型。あれから50年以上の歳月が流れ、「底の浅い現代相撲の典型」は令和の現代では何と呼ぶべきなのだろうか。
そして稀勢の里を初めとして、「底の浅い現代相撲の典型」は「誰も真似が出来なかった相撲の型」というのが、50年経った今、分かったような気がする。
>>玉ノ海梅吉が、「底の浅い現代相撲の典型」と命名した北の富士の相撲の型。
これで北の富士氏の評価が決まってしまった。ご本人が反論されることもなかった。ライバルが夭逝した悲劇の横綱玉の海であったことで、余計に「底の浅い現代相撲」を象徴する横綱として確立してしまった。
ただ、人生というスパンで見たときに、81歳でお元気な北の富士氏が最強ではないか、とも考える。令和5年のコンプライアンスに照らし合わせると、角界から追放される怖れもあるが、他人の評価は気にしない、飄々とした処世術には見習うべきところがある。
shin2さんへ
コメント、ありがとうございます。
「現代相撲」と玉ノ海梅吉は名付けましたが、50年後の「現代」では北の富士のような相撲は主流ではありませんね。しかし玉の海さんも、それは予想がつかなかったことでしょう。それ以上に、大相撲解説者として北の富士が、ここまでメジャーな存在になるとは、予想もつかなかったと言うか、想像もしなかったでしょうね。