雅山

雅山 による雅山的相撲は、これからも引き継がれるでしょう





雅山は82場所の幕内在位で大関在位は8場所、陥落後11年にも亘って幕内で活躍した実力者で、むしろ長く活躍したことで大関だった印象が薄くなってしまった大関でした。

雅山と言えば、押して引いて、叩いて突いての、淡白な相撲の権化。立合いに変化するのに、変化されると恨めしそうに相手を見て、立合いの変化への批判を高めた主役的存在。

ストレートに書くと、無茶苦茶になりましたね。申し訳ない。立合いの変化は、落ちる方が悪いなどと書いている私ですが、矛盾しております。ファンとは勝手なものでございます。

押して引いて、叩いて突いて、すべて正しく相撲の技です。万能型と言うべきでした。やはり前に落ちる方が悪いわけで、雅山は「悔しかったら、もっと稽古しろ」という相撲だったのかもしれません。

それにしても大関になるまでの雅山は、凄い勢いでした。右肩のコブも迫力を感じさせました。なぜか雅山には、なまくら四つイメージが残ってますが、当時は右肩から強烈に当たっていたわけです。

右肩のコブは、強烈な当たりのためならコブでも作るという凄みを持ち、まだザンバラ髪で番付を上げていく姿は、その濃いめな目元と相まって、風貌も相当な凄みでした。

なぜか大銀杏を結ってから、顔立ちも優しくなったような。コブも見慣れたせいか、あまり意識しなくなりました。それに右肩のコブのわりに、右四つのイメージはあまりないですね。左四つでもとっていたし、立合いも両手突きなどで、右肩のコブの印象は薄くなっております。

ところで、YouTubeで雅山の昔の相撲を見ていたら、意外と(失礼)熱戦が多いのですね。あっさり終わった相撲が、かなり頭に残っていたので。確かに相撲の型としては淡白でも、その型を究めた雅山の相撲は熱戦が多かったのかもしれません。

雅山的力士は淡白な相撲が多いものの、本家雅山は自分の型を作り上げ、雅山的な名勝負を演じたのかもしれません。2回も続けて「かもしれません」を使ってしまいました。もっと自信を持って、ブログを書きます。そして雅山や千代大海のDNAは、これからも引き継がれます。

大相撲力士名鑑 : 雅山

 

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